「あの人が、また漫画を書いているらしい。」

そんな情報がSNSに流れたとき、多くの人が最初に感じたのは、静かな驚きだったかもしれません。

でも詳細を知るにつれて、その驚きはじわじわと怒りに変わっていきました。

マツキタツヤ(本名:松木達哉)。

かつて週刊少年ジャンプで『アクタージュ act-age』の原作者として人気を博し、「次世代のジャンプを担う才能」と称えられた人物です。

しかし2020年、未成年の女子中学生に対する強制わいせつ事件を起こし、有罪判決を受けました。

それから事件発覚から約5年後の2025年8月、今度は八ツ波樹(やつなみ みき)という別名義で、小学館のマンガワンにて新作漫画の原作を担当していたことが明らかになりました。

読者は誰も知らされていなかった。

しかもその「公表」は、週刊文春が質問状を送り、詳報の公開を予告した同日に小学館がリリースを出した形で、文春砲の予告がきっかけだったと見られています。

「また小学館か」「何も学んでいない」「被害者のことを何だと思っているのか」という声がSNSを埋め尽くしました。

今回は、この問題の経緯と、私たちが感じるモヤモヤの正体を、できるだけわかりやすく整理してみたいと思います。

マツキタツヤが起こした事件とは?

まずは、2020年に何が起きたのかを振り返っておきましょう。

事件は2020年6月18日の夜、東京都中野区の路上で起きました。

マツキタツヤ(当時29歳)は自転車に乗り、前を歩いていた女子中学生(13〜14歳程度)を追い抜く際に、胸を触るという行為を行いました。

被害者は親に相談し110番通報。

防犯カメラの映像から松木が特定され、同年8月8日に警視庁中野署に逮捕されました。

容疑については「おおむね間違いありません」と認め、動機については「ストレス発散のために自転車に乗っていた」と供述しています。

この供述、読んでいてゾッとしませんか。

「ストレス発散」のために見知らぬ中学生に危害を加える、という発想自体が、被害者の存在をまるで物のように扱っているように聞こえます。

さらに判明したのが、同じ日の約1時間後に、同じく中野区内で別の女子中学生に対しても同様の行為を行っていたという事実です。

1件目は被害者との示談が成立し不起訴となりましたが、2件目については強制わいせつ罪で起訴されました。

裁判で東京地裁が述べた言葉が印象的です。

「非のない被害者を理不尽にもストレスのはけ口にした」「年少被害者の精神的衝撃は大きい」——これが判決文の一部です。

被害者は突然の出来事に強い恐怖を感じ、夜道を歩くことへの不安や心的なダメージを長く抱える可能性が高いとされていました。

「自転車での犯行は計画的で卑劣だ」「被害者が一生傷を負うのに、なぜ加害者は保護されるのか」——ヤフコメやSNSには今でも根深い怒りが残っています。

そしてこの事件を受けて、集英社は即座に動きました。

逮捕の翌々日、集英社は『アクタージュ act-age』の連載を終了すると発表。

当時連載は全12巻まで刊行されており、累計300万部を超える人気作でした。

舞台化の計画まで進んでいた作品が、未完のまま打ち切りとなりました。

単行本は出荷停止・無期限廃盤、電子書籍も配信終了。

作画を担当していた宇佐崎しろさんは、自分とは無関係の事件によって、連載中の作品を突然失うことになりました。

「宇佐崎先生が可哀想」「被害者への配慮は当然だけど、作品の未来も奪われた」という声が広がったのは、当然のことだったと思います。

それでも集英社の対応は「社会的責任を果たした」として評価されており、後に小学館の対応と比較されることになります。

マツキタツヤの判決と執行猶予期間の経過

事件の全容がわかったところで、次に「その後」の話をしましょう。

マツキタツヤは法的にどのような処分を受け、その後どのような時間を過ごしてきたのか。

そしてなぜ復帰のタイミングが「早すぎる」と批判されているのか。

時系列を追いながら整理してみます。

2020年の逮捕から有罪判決まで

2020年8月8日に逮捕、同日再逮捕(2件目の事件)。

同年12月23日、東京地裁は松木達哉被告に対し、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(求刑通り)の有罪判決を言い渡しました。

執行猶予とは、「一定期間、再び罪を犯さなければ、刑務所には行かなくていい」という制度です。

つまり実刑は免除され、実際に服役はしていません。

社会の中で生活を続けながら、3年間のカウントダウンが始まったわけです。

逮捕の知らせが届いた翌日、集英社はすでに連載終了の方針を決めていました。

その速さと徹底さは、後に「集英社は偉かった」と語られることになります。

執行猶予3年間の過ごし方と反省

執行猶予の3年間、松木氏は医療機関への受診と心理カウンセリングを継続していたとされています。

2026年3月2日に出された小学館のプレスリリースによれば、担当心理士から「心的療養・更生が十分」という評価を受けていたとのことです。

また、起用にあたっては当時の編集長も了承していたことが確認されており、編集部は犯歴を把握した上で起用を決めたということになります。

2024年9月に小学館の編集者と直接会った際には、被害者への贖罪の気持ちや後悔、内面の変化、再発防止への取り組みなどを語ったとされています。

さらに、その後の創作活動(小説『星霜の心理士』の原案)は、事件後に経験したカウンセリングへの感銘が動機になっていたとのことです。

ここで、多くの人が複雑な感情を抱きます。

「更生努力はわかった。でも……」という、言葉にしにくい引っかかり。

その引っかかりの正体については、後ほど詳しく触れます。

2024年1月の執行猶予満了と復帰準備

判決確定から3年後、2024年1月頃に執行猶予が満了しました。

そしてその約8ヶ月後の2024年8月29日、小学館マンガワンの編集者が、マツキ名義のSNSアカウントに連絡を取り、面会を打診。

9月6日に対面し、反省・更生状況を確認したうえで起用を決定。

2025年8月から、八ツ波樹名義で『星霜の心理士』の連載が始まりました。

この流れを見て、「執行猶予が終わったら、すぐ復帰させるつもりだったのでは」と感じた人は多いでしょう。

法的な制約がなくなったと同時に、商業的な活動を再開させる。

そこには「被害者はいま何を感じているか」という視点が、どこにも見当たらないように見えます。

被害者の傷が「執行猶予3年間」で癒えるわけがない、というのは多くの人が直感的に理解していることではないでしょうか。

マツキタツヤの復帰に小学館へ批判が殺到

2026年3月2日、小学館は自社のプレスリリースで、八ツ波樹がマツキタツヤと同一人物であることを公表しました。

しかしこの「公表」、実は自発的なものではなかったと見られています。

同日の午前中、週刊文春が質問状を送り、「電子版および紙版で詳報予定」と予告した直後に、小学館が「憶測が広まりつつある現状を鑑みて」という形でリリースを出したのです。

文春砲の予告がなければ、読者には何も知らされなかったかもしれない。

その事実が、怒りに火をつけました。

小学館のプレスリリースは、起用の理由として以下を挙げていました。

  • 判決確定・執行猶予満了を確認
  • 反省姿勢と再発防止取り組みを確認
  • 心理士による更生評価を確認
  • 作画担当にも事前説明済み
  • 旧名義使用は被害者への二次的影響を懸念して別名義を認めた

一見すると、丁寧な配慮のように見えます。

でも読者は「お帰り」と言えなかった。

その根本的な理由を、5つの視点から見ていきましょう。

①文春に言われるまで隠していた隠蔽体質

先ほども触れましたが、小学館の公表タイミングは文春の取材予告と同日です。

「バレそうだから先手を打った」と受け取る人が圧倒的に多かったのは、当然のことだと思います。

もし文春が動かなければ、『星霜の心理士』は普通に連載が続いていたはずです。

読者は「八ツ波樹」という名前のまま、何の疑問も持たずに作品を楽しんでいた可能性があります。

その中には、性犯罪の被害経験を持つ読者もいたかもしれない。

知らずに読み続けることが、どれほど残酷な状況を生み出しうるか。

小学館が「被害者配慮のためのペンネーム変更」と説明したことも、逆効果でした。

「被害者を守るためにペンネームを変えた、でも読者には知らせない」という論理は、「守りたい相手は被害者ではなく、自分たちのビジネスだったのでは」と聞こえてしまうのです。

しかも今回、山本章一(常人仮面原作者)の別名義問題が発覚したのと相次ぐ形での発覚です。

「前の件で大炎上した直後に、また同じことをやっていたのか」という怒りが積み重なり、「小学館の体質そのものが腐っている」という声が広がりました。

3月3日朝の報道では「意図的な判断だった」と批判する記事も出ており、文春のスクープがなければ継続されていた可能性が高いとして、隠蔽体質への批判はさらに強まっています。

②性犯罪を経験した人が「カウンセリング」を題材にする無神経さ

『星霜の心理士』という作品は、心理カウンセリングをテーマにしたストーリーです。

そしてその原案の動機が「事件後に自分が受けたカウンセリングへの感銘」だったと説明されています。

これを聞いたとき、多くの被害経験を持つ人がどう感じたか、少し考えてみてください。

加害者が、自分の犯罪体験から得た「気づき」を題材にして、感動的なストーリーを作り上げている。

その作品が読者に「癒された」「勇気をもらった」と受け取られる。

一方で、実際に傷ついた被害者たちの人生は、今も続いている。

「加害者だけがきれいな再出発ストーリーを手に入れている」という感覚。

「壊したものの大きさを、本当にわかっているのか」という怒り。

これは感情論ではなく、加害者の「更生の物語」が商業コンテンツとして消費されることへの、正当な違和感だと思います。

更生すること自体は否定しません。

でも、その更生の過程を「作品」にして収益を得ることと、被害者の回復は、まったく別の話です。

被害者サバイバーからは「加害者の体験を美化している」と怒りが再燃しており、3月3日時点のSNS反応では「更生の機会を奪うな」という擁護の声も少数ながら見られますが、批判が圧倒的に優勢な状況が続いています。

③被害者や作画担当の未来を奪った責任の軽さ

マツキタツヤの事件で、直接的に傷ついた人は被害者の中学生たちだけではありません。

『アクタージュ』の作画を担当していた宇佐崎しろさんは、自分とは無関係の事件で、描き続けていた作品を突然失いました。

未完のまま打ち切りとなり、舞台化の夢も消えた。

その後、宇佐崎さんは別の作品で活動を続けていますが、あの作品が持っていた可能性は二度と戻りません。

被害者は今もトラウマを抱えながら生活しています。

そのことを考えると、「執行猶予が明けたから商業復帰OK」という判断が、どれだけ被害者側の現実から切り離された論理なのかが見えてきます。

今回の『星霜の心理士』で作画を担当していた雪平薫さんも、同様に巻き込まれた形です。

小学館は「作画担当には事前に説明し、了解を得た」と説明しています。

でも「了解」と「本当に自由な選択」は、必ずしも同じではありません。

状況的に断りにくい立場に置かれていたのではないか、という指摘もあります。

「雪平先生が可哀想」「突然こんな事実を知って作品継続なんて、精神的に辛すぎる」という声が広がったのも、そうした文脈があるからです。

④「人権侵害」という言葉の使い方の誤り

小学館のプレスリリースには、「犯罪歴は個人情報であり、公表することは人権侵害になりうる」という趣旨の主張が含まれていました。

この言葉に、多くの人が強い引っかかりを感じました。

「人権侵害」という言葉は、本来は弱い立場にある人を守るための概念です。

でもここでは、それが「加害者の情報を読者に知らせないための盾」として使われているように見えました。

読者への情報開示はゼロ。

被害者への二次的影響リスクは考慮しない。

それでいて「人権に配慮している」と主張する。

「誰の人権を守っているのか」という疑問は、至極まっとうな問いかけです。

読者には「知った上で選ぶ権利」があります。

過去の経緯を知っていたら読まなかった、という人もいれば、それでも作品として楽しみたいという人もいる。

どちらの選択も、読者の自由です。

でも情報を隠した時点で、その選択肢は最初から奪われていました。

「人権を守る」という言葉を、自分たちに都合よく使っていたと受け取られても仕方ない状況だったと思います。

⑤執行猶予明けすぐの起用という早すぎる決断

執行猶予が満了したのが2024年1月頃、小学館編集者が接触したのが同年8月末。

法的な縛りがなくなってから、わずか8ヶ月で商業復帰へのルートが開かれました。

「心理士が更生を評価した」という説明は、一定の手続きを踏んだことを示しています。

でも問題は、そのプロセスの丁寧さではなく、「誰の視点が欠けていたか」です。

加害者の更生状況は確認した。作画担当の了解も得た。法的な問題もない。

でも、被害者は今どんな状態なのか。被害者が加害者の復帰を知ったとき、どう感じるのか。

その視点がプロセスの中に見当たらない。

執行猶予期間というのは、被害者の傷が癒えるための期間ではなく、あくまで加害者が再犯しないかを観察する制度です。

3年が過ぎたからといって、被害者が「もう大丈夫」になるわけではありません。

「更生したから、もう許してあげなさい」という論理を、被害者に強制することはできない。

それを理解した上での決断だったのかどうか、多くの人が疑問を持っています。

集英社がアクタージュ問題で見せた徹底的な対応と比較するとき、小学館の判断がいかに「加害者側の論理」で動いていたかが際立ちます。

集英社は「社会的責任」を理由に、人気絶頂の作品をためらわず打ち切りにしました。

一方小学館は、「更生評価」を盾に、同じ人物を名前を変えて呼び戻した。

この差を「集英社は厳しすぎた、小学館のほうが人道的」と見る人は、ほとんどいなかったようです。

むしろ「小学館は犯罪歴のある原作者を安く起用できると踏んで、スカウトしたのではないか」という見方すら出ています。

それが事実かどうかはわかりません。

でも、そう疑われてしまう判断と行動を重ねてきたのは、小学館自身です。

「また同じことをやっていた」という事実が、信頼をこれ以上ないほど傷つけました。

マンガワンのアプリを削除した、小学館の漫画は買わない、という声が広がったのは、単なる感情的な反応ではありません。

「この出版社が出す作品を読むたびに、裏で何を隠しているかわからない」という根深い不信感の表れです。

第三者委員会の設置や更新停止の発表も、「今さら」「形だけ」と受け取られています。

過去の山本章一問題から何も学ばず、同じスキームを繰り返した時点で、言葉だけの謝罪は届きにくい状況になってしまいました。

最終的に多くの読者が感じているのは、「私たちはただ漫画を楽しみたいだけなのに、なぜ加害者の過去を隠されてリスクを押し付けられなければならないのか」という怒りです。

その怒りは感情論ではなく、「読者として当然持つべき選択権を奪われた」という正当な抗議です。

加害者の更生を完全に否定することが正解だとは思いません。

社会に戻る道が完全に閉ざされれば、それはそれで別の問題を生みます。

でも、更生の機会を与えることと、その事実を隠して消費者に押し付けることは、まったく別の話です。

「透明性を持って、知った上で選んでもらう」という選択肢が最初からあったはずです。

それをしなかった理由が「被害者への配慮」だというなら、その説明はあまりにも苦しい。

被害者のことを本当に考えているなら、まず被害者が加害者の復帰を知ったときの気持ちを、最初に想像すべきだったのではないでしょうか。

マツキタツヤ問題は、加害者個人の話であると同時に、業界全体の構造的な問題を映し出しています。

「才能があれば、過去は問わない」という空気が、どこかに残っていないか。

「バレなければ大丈夫」という判断が、無意識に組織の中に染みついていないか。

それを問い直す機会として、この騒動を受け止めてほしいと思います。

2026年3月3日現在、小学館は第三者委員会を格上げして調査を移行し、『星霜の心理士』の更新は一時停止中です。

SNSでは不買運動が続き、「小学館のガバナンス欠如」を指摘する報道も相次いでいます。

マンガワンからの離脱を報告する声も増加しており、小学館が損害対応を発表したものの「形だけ」との声が根強く、業界全体の構造改革が急務だという声が高まっています。

漫画を楽しむ読者が、安心して作品を手に取れる環境。

被害者が加害者の「成功話」に傷つかずに済む社会。

それを作るのは、法律だけでも、第三者委員会だけでもなく、業界全体の意識と行動にかかっています。

今回の問題が、その本当の意味での第一歩になることを願いながら、この記事を閉じたいと思います。

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