2026年2月26日(木)、ある事件が福岡地裁小倉支部で懲役24年の判決を受けました

北九州市の空手塾で、元経営者の永末哲也被告(62)が13歳未満の女子児童8人に対し、7年間にわたって繰り返していた卑劣な行為の代償としては、あまりにも軽いと感じた方がほとんどだったのではないでしょうか。

認定された行為は計49回、撮影された記録物は500点を超えていたといいます。

裁判所が「格別に悪質」と断じ、検察が「鬼畜にも劣る」と形容したこの事件。

しかし正直なところ、本当に恐ろしいのは犯行そのものだけではないんです。

なぜ7年もの間、誰一人として声を上げることができなかったのか

その裏には、指導者という仮面をかぶった人間が築き上げた、あまりにも巧妙な「支配の構造」が隠されていました。

判決翌日のSNSでは「24年は軽すぎる」「極刑でも足りない」「裁判官は被害者の痛みをわかっているのか」など、怒りの声が止まない状態が続いています。

この記事では、永末被告がどのように子供たちを心理的に追い詰め、沈黙させていたのかを、裁判で明らかになった情報をもとに整理していきます。

「うちの子の習い事は大丈夫なんだろうか」と、胸の奥がざわついた方にこそ最後まで読んでいただきたい、そんな内容です。

永末哲也が北九州空手塾で築いた「絶対的権力」

まず知っておいてほしいのは、永末被告がただの「空手の先生」ではなかったということ。

彼は北九州市小倉南区で空手塾を経営し、日々の稽古を指導し、さらには昇級試験の審査員まで一人で兼任していました。

つまり、子供たちの空手人生のすべてを、たった一人で握っていた人物なんです。

これがどれだけヤバい状態なのか、ちょっと学校に例えてみるとピンとくるかもしれません。

たとえば担任の先生が、テストの採点者であり、通知表も書き、進学先の推薦を決める権限まで持っていて、しかも校長でもあるような状況。

こんな先生に「あの人おかしいんです」って言えます?

大人だってためらうのに、まだ小学生にもなっていない子供が声を上げられるはずがないでしょう。

 

実際、永末被告自身が法廷でこんなことを述べています。

「私は先生であり指導員であるということを、彼女が認識して逆らえないと思った」と。

これ、ゾッとしませんか。

加害者本人が、自分の立場を利用すれば子供を支配できると完全に自覚していた。

そのうえで悪用していたわけですから、もう計画的としか言いようがありません。

そもそも空手道場という場所は、「礼儀」「規律」「師弟関係」を非常に重んじる文化を持っています。

先生の言葉は絶対。

指示に黙って従うことが美徳とされる世界です。

大人であれば「ん? ちょっとおかしくない?」と感じるようなことでも、未就学から小学生低学年の子供にとっては「先生が言うんだから間違いない」となってしまう。

むしろ、空手を真剣に頑張っている子ほど先生を疑わない傾向があったと考えられます。

「先生に嫌われたら昇級できない」

「大会に出してもらえなくなる」

「稽古に参加すらさせてもらえないかも」

子供たちの頭の中には、つねにこうした恐怖がつきまとっていたはずです。

空手を頑張っている子にとって、昇級や大会出場は夢そのもの。

その夢の生殺与奪をたった一人の大人が握っている――これがどれほど危うい状態か、この事件が痛烈に突きつけています。

 

さらに見逃せないのが、道場という空間の「閉鎖性」です。

保護者が稽古中にずっと見学しているケースって、実はそこまで多くないんですよね。

送り迎えだけして、稽古中は外で待っている。

あるいは子供だけで通っている家庭もあったでしょう。

つまり、大人の目が一切届かない「密室の時間」が日常的に存在していたわけです。

 

「三位一体の権力」と「閉ざされた空間」。

この2つが組み合わさったとき、子供たちには逃げ場がまったくなかった。

2018年から2024年までの7年間、49回もの犯行を可能にした最大の要因がここにあります。

そして何より怖いのは、この構造が決して特殊なものではないということ。

全国どこにでもある習い事の教室で、同じような権力の偏りが潜んでいる可能性を、私たちは直視しなければならないのかもしれません。

永末哲也が子供に強いた「卑劣な口止め」の内容

永末被告が7年間も発覚を逃れ続けた背景には、子供たちの口を徹底的に封じる巧妙な手口がありました。

裁判所が「狡猾で卑劣」と繰り返し指摘したその方法は、大きく分けて3つの柱で成り立っていたと考えられます。

しかも判決では、「犯行発覚を防ぐため被害者の反応に応じて態様を変えていた」とまで認定されており、場当たり的な犯行ではなく、状況を見ながら手口を調整する異常な冷静さがあった。

ここからは裁判で明らかになった情報をもとに、その一つひとつを掘り下げていきます。

①「特別な指導」というマインドコントロール

永末被告が使っていた最もたちの悪い手口が、行為そのものを「指導の一環」だと思い込ませるやり方です。

検察は冒頭陳述の中で「指導と称して行為が可能と考えていた」と指摘しており、被告が意図的にこの手法を使っていたことが裏付けられています。

 

「これは特別な稽古だよ」

「先生が特別に教えてあげるんだ」

こうした言葉を、まだ行為の意味すら理解できない年齢の子供に繰り返していたとすれば、子供がそれを「普通のこと」だと受け入れてしまうのも、ある意味当然の結果でしょう。

大人の私たちからすれば信じがたい話ですが、13歳未満、中には未就学の子供もいた被害者たちにとって、信頼する先生の言葉こそがすべてだったはずです。

 

この手口は、犯罪心理学で「グルーミング」と呼ばれる手法のど真ん中にあたります。

グルーミングとは、加害者が被害者との信頼関係を時間をかけてじっくり築き、少しずつ心の境界線を壊していくプロセスのこと。

最初は優しい声かけや特別扱いから始まり、段階的に身体的な接触をエスカレートさせていく。

被害者が「おかしい」と気づいた頃には、もう深く取り込まれてしまっていて、自力では抜け出せなくなっている。

よく「ゆでガエル」に例えられますが、まさにぬるま湯からじわじわ温度が上がっていく状況そのものです。

 

永末被告の場合、長年の指導を通じて「頼れる先生」「厳しいけど愛情がある人」としての信頼を積み上げた。

そしてその信頼を土台にして、取り返しのつかない行為に及んでいた。

子供たちは「先生のためなら」「これで強くなれるなら」と信じ込まされ、抵抗する気持ちそのものを奪われていた可能性が極めて高いのです。

判決で「ほぼ無抵抗の被害者に一方的に行為を繰り返した」と認定されていることが、この心理的支配の恐ろしさを如実に物語っています。

 

②撮影した画像・動画による心理的拘束

裁判で明らかになった撮影記録は500点超

しかも複数の機材を使い、常習的に記録していたことも判明しています。

この数字だけでも相当な衝撃ですが、問題はそれが単なる「個人的な記録」にとどまっていなかった可能性があるという点です。

 

撮影された記録物は、子供たちを沈黙させるための「武器」として機能していた疑いが極めて濃厚。

「これが人に見られたらどうなると思う?」「親にバレたら大変なことになるよ」。

こうした言葉をかけられた子供が、どれほどの恐怖を感じたか。

自分の姿が記録されているという事実そのものが、子供にとっては鎖のように重い精神的な束縛になります。

 

大人だって、プライベートな映像を握られたら冷静でいられる人は少ないでしょう。

それが、まだ世の中の仕組みも十分にわかっていない、助けの求め方すら知らない小さな子供だったら。

「誰かに相談したい」と思っても、「そうしたらあの記録が広まるかもしれない」という恐怖が立ちはだかり、口を開くことを阻んでいたと考えるのが自然ではないでしょうか。

 

500点という数は、7年間にわたって計画的かつ執拗に撮り続けていたことの動かぬ証拠です。

しかも判決では「被害者の反応を見ながら手口を変えていた」とも認定されており、記録も含めてすべてが「バレないための計算」の上に成り立っていた。

永末被告にとってそれが「保険」であり「支配の道具」であったことは、もはや疑いようがありません。

子供に関する記録物の所持は法律で厳しく罰せられる行為ですが、この事件ではそれが子供たちの自由そのものを奪う凶器として使われていた。

その事実の重さに、言葉を失います。

③空手の段位や実績を盾にした圧力

3つ目の柱が、空手そのものを利用した脅しです。

先ほども触れたとおり、永末被告は昇級試験の審査員でもありました。

つまり子供が黒帯を取れるかどうか、大会に出場できるかどうか、すべてこの人物の判断ひとつにかかっていたということになります。

 

「言うことを聞かないと昇級させないよ」「大会に出られなくなるよ」。

こうした言葉が直接あったかどうかはともかく、子供たちはその権力構造を肌で感じ取っていたに違いありません。

空手を一生懸命やっている子にとって、段位や大会は自分の存在意義そのもの。

友達に「黒帯になったよ」って胸を張って言える誇り、大会で結果を出す喜び。

その全部を一手に握っている先生に逆らうなんて、子供の頭の中では最初から選択肢になかったはずです。

 

検察は「優位な立場を最大限に利用した」と強く非難していますが、ここで見落としてはならないポイントがあります。

それは、被害を受けた子供たちが「自分のせいだ」と感じていた可能性があるということ。

「先生に従うのは当たり前」「言うことを聞けなかった自分が悪い」。

もしそう思い込まされていたとしたら、親に助けを求めることは「自分の弱さを認めること」になってしまう。

この構造って、従えば優遇され、逆らえば罰を受けるという、まるで独裁組織の支配と変わらないんですよね。

 

そして最も胸が痛むのは、本来なら楽しいはずの空手を通じて子供たちが苦しめられていたという事実。

夢を追いかける場所が、悪夢の舞台に変えられていた。

検察が求刑したのは有期刑の上限である懲役30年でしたが、結果は24年。

この数字に「到底納得できない」と感じている人が多いのも、至極当然のことだと思います。

北九州空手塾の事件から学ぶ「SOSを見抜く術」

ここまで永末被告の手口を見てきましたが、では私たち親の立場として何ができたのか。

7年間も闇の中にあった子供たちの苦しみを、もっと早い段階で察知する方法はなかったのか。

この事件を「遠い街の怖いニュース」で終わらせないために、ここでは具体的なヒントを整理しておきたいと思います。

 

裁判では、ある被害児童が行為の意味をようやく理解した後、保護者の前で「妊娠したかもしれない」と泣き崩れたエピソードが明かされています。

正直、この一言を聞いたとき、胸が締めつけられる思いでした。

そこまで追い詰められて初めて声が出たという事実が、どれだけ過酷な状況だったかを物語っている。

そう、子供はギリギリまで誰にも言えなかったんです。

 

北九州空手塾の性加害が発覚しなかった理由…永末哲也の支配手口がヤバすぎる

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では、そこまで追い詰められる前の段階で、子供が静かに発しているかもしれないサインとはどういうものか。

たとえば、今まで楽しそうに通っていた稽古を急に嫌がるようになる。

理由を聞いても「別に」としか返ってこない。

先生の名前を出したとたん表情が曇る、あるいは話題をそらそうとする。

原因不明の腹痛や頭痛が増えたり、夜なかなか寝つけなくなったり。

年齢にそぐわない性的な知識を口にする、あるいは自分を責めるような言葉が急に増える。

 

こうした変化は、ひとつひとつは「成長期にはよくあること」として見過ごされがちなものばかり。

でも、複数が同時に重なっていたり、特定の場所や人物に関連して現れたりしたとき、それは子供なりの精いっぱいのSOSなのかもしれません。

 

大切なのは、「うちの子に限ってそんなことあるわけない」という思い込みを、いったん手放してみることではないでしょうか。

永末被告に子供を預けていた保護者も、きっと「信頼できる先生」だと思っていたはずです。

長年の実績があって、地域に根づいた道場で、子供たちに一生懸命空手を教えてくれている人。

「まさかあの先生が」という驚きは、すべての保護者に共通していたに違いありません。

 

だからこそ、日頃からの何気ない対話がものすごく大きな意味を持ってきます。

「今日の稽古どうだった?」「先生に何か言われた?」。

たったこれだけでも、子供にとっては「親は自分の味方なんだ」という安心材料になる。

ただし、詰問するような聞き方は逆効果になりかねません。

お風呂の中や寝る前のリラックスした時間に、さりげなく話を向けるくらいがちょうどいいのかもしれませんね。

そしてもうひとつ、幼いうちからの性教育の大切さも、この事件は浮き彫りにしています。

「あなたの体はあなただけのもの」「イヤだと思ったらNOと言っていい」「大人でも先生でも、間違ったことをする人はいる」。

こうしたことを小さいうちから伝えておくと、子供は「これはおかしい」と気づくためのセンサーを持てるようになります。

実際に被害に遭ったとき、「自分が悪いんじゃない」と思えるかどうかは、事前にこういう知識があるかないかで天と地ほど違ってくるはずです。

 

習い事の環境そのものを見直すことも欠かせないポイント。

指導者が一人きりで子供と密室にいる時間が長い教室は、構造的にリスクが高いと言わざるを得ません。

複数の大人の目がある環境かどうか、保護者がいつでも見学できる体制になっているか。

こうした点を確認しておくだけでも、危険はかなり下げられるのではないでしょうか。

将来的には指導者の過去の犯罪歴を照会できる制度の整備も求められていますが、制度が整うのを待つだけではなく、今日からできることに目を向けておくのが現実的な備えと言えそうです。

 

判決後、検察・弁護側双方の控訴動向が注目されていますが、それとは別に、被害者の心身に対するケアの重要性を訴える支援団体からの声も上がり始めています。

この事件は、「信頼していた大人が最も危険な存在だった」という、受け入れがたい現実を私たちに突きつけました。

空手教室だけの問題ではなく、ピアノ教室でも学習塾でもスイミングスクールでも、同じ構造はどこにでも起こりうるもの。

子供の沈黙を破るのは、制度でも法律でもなく、毎日の暮らしの中にある親子のたわいない会話なのだと、この事件が教えてくれている気がしてなりません。

被害に遭った8人の子供たちの心の傷が、時間をかけてでも少しずつ癒えていくことを心から願っています。

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